世界を目指す前に 知っておきたい、あれこれ

未来を生きる次世代への置き書き

長生きは幸運のたまもの

suhartini, · カテゴリー: 未分類

ネットのニュースを見て驚いた。

女優の川島なお美さんが亡くなった。

この間テレビで見たときは、闘病に励んでいると語っていたので、てっきりよくなるものだと思い込んでいた。

気丈にふるまうとは、こういうことなのだろう。

 

筆者は、インドネシア人と結婚して、すこし気を付けていることがある。

長生きしてもらえるように、だ。

それは、インドネシア人の平均寿命が70歳と、日本人よりも10歳以上も短いからだ。

もちろん、平均寿命とは、あくまで平均であって、幼児死亡率が高ければ、それだけ平均寿命が低くなるのだけど、やはり住んでみて、平均寿命が低いことは、なんとなく実感していた。

例えば、筆者の結婚式に出席した親戚のご老人だが、60代で、はつらつとした、いかにも健康そうなおじいさんだ。披露宴で気をよくしてか、音楽に合わせてステップを披露してくれたぐらいだ。

しかし、それから1年後に訃報を聞いた。

もしかしたら、体のどこかがあまりよくないのかもしれないが、いちおう老衰と聞いている。

60代で亡くなるというのは、日本では早い方だが、インドネシアでは立派に「天寿を全うした」といえるのだ。

実際に、インドネシアの年寄りは、60歳になると、なんだか人生を悟ったかのような落ち着きがある。

だいたい、そうなると、お呼びがかかる頃なのだが。

 

インドネシア人は、概して、日ごろの栄養状態が決して良いとは言えず、どうしても老衰のタイミングが早い。

また、医師の質にも問題があって、手術でもしようものなら「かえって悪くなる」と誰もが言う。いや、冗談ではなく、本当にみんなそういうのだ。

病院でも、ある程度の年齢になると、むやみに延命をしないという暗黙の掟があるみたいで、割と簡単にあちらの世界へと送り出してしまう。

加えて、事故も多い。

だから、インドネシアでは、80代まで生き延びれるのは、幸運のたまものだといっていい。

 

幸いなことに、筆者夫婦は日本に住んでいるので、インドネシアよりも格段に事故にあう確率は下がるし、医療もきちんとしている。

だから、インドネシアにいたときよりも、まだ安心して生活できるのだが、川島なお美さんが亡くなったというニュースを聞いて、やはり長生きとは、幸運のたまものなのかもと改めて感じた。

 

近況のご報告

suhartini, · カテゴリー: 未分類

本当に、本当に、久しぶりのブログになってしまった。

3か月ぶりになる。

実は、ひょんなことからパートを始めたのだが、その後、妙に忙しくなり、ブログどころではなくなってしまったからだ。

とはいえ、ひと段落ついたので、少しづつだが再開したいと思う。

残念ながら、外国人の就活考はいったんお休みになる。

自画自賛するようで恐縮だが、外国人夫を持った場合、これほど役に立つ情報はないと思うのだが、どうだろう?

夫が英語圏出身者なら、とりあえずは英語教師という方法があるが、そうでなくて、アジア系や非英語圏出身者で、日本で仕事を探すのは、とても難しい。

例外として、日本の大学で留学生として学び、留学生枠としてどこかの企業に入社できればよいのだが、そうでなくて、海外で知り合って結婚し、日本で暮らすことになった場合は、仕事はどうしたら探せるのか?どうしたら安定した家計が手に入るのか?という情報はあるようで、全くない。

全くないから、このブログに書いておいた。

また、思いついたことがあったら、書き綴っておこうと思う。

 

4月4日は「養子の日」って、知ってた?

suhartini, · カテゴリー: 未分類

今日、4月4日は何の日かご存じだろうか?

このところ、オネエタレントが活躍していて、「オカマの日」というのは、ずいぶん知られるようになった。

しかし、先日、雑誌を見ていたら、4月4日は「養子の日」なのだと書いてあった。

海外に住んだことがある人は、何かしらの影響を受けてくるものだが、海外生活を通じて見方が変わるもののひとつに、「養子」に対する印象があるのではないだろうか?

筆者の友人はアメリカに20年以上住んでいたが、現地で養子を迎える家庭が多いことに驚いたというし、永住している日本人でも養子を迎え入れている人がいるという。

筆者自身が住んでいたインドネシアでも、養子はかなり一般的だった。

というのも、もし子供ができなかった場合、日本でなら特に裕福でなくとも、体外受精のような医学の力を借りて妊娠に至ることができるが、インドネシアではそういった高度な治療は大都市に限られ、普通の人には手が届かない。

だから、ひたすら神に願うか、それでも叶わないなら養子をとるということが行われている。

養子は、だいたいが親戚筋からもらい受けるのだが、筆者が働いていた会社の同僚で英語が堪能だった者は、その理由を聞くと、欧米人夫婦のもとに養子として育てられたからだという。

筆者の周囲でも、養子を育てている人は何人かいたし、あまり似ていない親子だと、もしかしたら養子なのかも?と思ってしまうくらい、養子が普及していた。

そういう環境だったから、筆者が当時交際していた男性(=主人)との間に子供ができた、となった時は、こんな相談が持ち掛けられた。

その子供を育てられないなら、私たちが育てるから、ぜひ産んでほしいと。

つまり、筆者は日本人で、夫がインドネシア人で、筆者の親が結婚に賛成しないことがありうる。

だから、もし育てられないなら、ぜひ産んでもらい、養子として迎えたい、というものだ。

ちなみに、相談してきたのは、主人の遠縁のご夫婦で、銀行の支店長をやっている。

経済的には申し分ない家庭である。

もちろん、筆者は親の反対を押し切っても産んで育てる気があったので断わったのだが、当時、経済的に不安定だったこともあり、子供は養子に出した方がよいのではないかと、時折、悩んだ。

 

今、息子は筆者夫婦のもとで元気に育っている。

思い起こすと、あの時、結婚に踏み切り、産む決意をした自分を褒めている。

子育てというものは、子供のためにやっているようでいて、実は自分の幸せのためにやっているのだと思うくらい、筆者夫婦に充実感を与えてくれる。

相変わらず、経済的には不安定さが残るのだけど、自分に投資したって、何も実を結びそうもないけど、子供なら、確実に育ってくれるし、筆者ができなかったことを実現する夢を見ることもできる。

子供という存在は、とても大きいものだ。

しかし、もし養子に出していたら、そんな幸せを、あの夫妻のもとに運んでいたのではないかと思う。

 

ちなみに、日本では、養子はまだ稀で、実親に育てられない子供の85%が施設で育てられている。

日本では、いまだに養子に対してマイナスのイメージしかないようだが、養子の日をもっと広め、養子が一般的になってくれることを願ってやまない。

そこで、海外で、養子を迎え入れる家庭を見てきた方にお願いしたい。

今年、日本で売られているカレンダーや手帳では、4月4日は空欄のままだ。

ぜひ、来年は「養子の日」と記載するよう、印刷会社に働きかけて欲しい。

 

文字を見て、本当に人柄ってわかるかね?

suhartini, · カテゴリー: 未分類

筆者は長く就活をしていたが、皆さんは、履歴書は自筆で書いているだろうか?

筆者は、日本での就活は、普通の一般企業もあれば外資系にもトライした。また、海外でも就活をしたクチだ。

 

今、日本の就活で、履歴書は自筆かパソコン作成かで議論が分かれている。

今時、手書きを書くなんて、かったるい。

英文履歴書ように、パソコン作成でいいではないか、と思うかもしれない。

しかし、一昔前は、英文履歴書を作成する方が、和文履歴書の自筆よりもはるかに大変だった。

なぜなら、タイピング作成をしなければならなかったからだ。

タイピングは、ミスによる修正がきかない。

タン、タン、タン、タン...とタイプ音を響かせながら、慎重に一字一字を打ってくのだが、レイアウトも重要な書類作成能力と判断されるので、厄介だ。

タイトルをセンタリングするつもりが、中心がずれてしまったり、途中でインデントを忘れたり、大文字で打つべきところを小文字で打ってしまった...なんてミスをやってしまい、「あぁ~っ!!」と大声をあげてしまうなんて、しょっちゅうだ。

その点、和文履歴書はフォーマットが市販されており、心を込めて丁寧に自筆するだけだ。

昔は、英文履歴書の作成の方がめちゃくちゃ大変だった。

 

さて、日本の和文履歴書だが、いまだに自筆で書くことがよいとされている。

その大きな理由のひとつとして、文字を見れば性格がわかるからだという。

しかし、文字を見てわかることは、真面目に書いたかどうか、ぐらいだろう。

文字から読み取った性格なんて、実のところは、適当で、大雑把で、採用者の勝手な思い込みでしかない。

その証拠に、世の中にはプロの筆跡鑑定師という職業が存在するのだから、筆跡鑑定の訓練を受けたこともない人の判断は、結局は素人の判断だと考えるべきで、いい加減な素人の筆跡鑑定のために自筆で履歴書を出せというルールを強いるのは、間違っていると思う。

だから、履歴書で自筆を求めることは、社会全体でやめていくようにすべきじゃないだろうか?

 

余談だが、筆者は、主人の手書きのアルファベットが読めない。

文字のクセが強くて、何て書いてあるのかわからないのだ。

夫婦なのに、結婚相手の文字が読めないというのも変な気がするが、主人の場合、何かの模様なのかと思うくらい独特の癖があって、頑張って読もうと凝視しているうちに、気分が悪くなってくる。

そういえば、この間、仕事で目にしたインド人のアルファベットも、負けず劣らず汚かった。

外国人のみならず、日本人でも、今どきの子供は字が汚いし、それでマズイとは思わないようだ。

そういう人たちの手書きの文字を日常的に目にしていると、もはや文字を見て性格判断しようという発想にならない。

自筆の履歴書なんて、あと少しで消えちゃうんだろうな、と思う。

 

ちなみに、筆者はパソコン作成派だ。

パソコン作成では性格が読み取れないという意見があるが、それは思い込みだと思う。

文体や言葉の選び方は個性そのものだし、わかりやすく書いてあれば、コミュニケーション能力の高さも期待できる。

パソコン作成は、自筆以上にその人自身の資質が正しく表現されていると思う。

 

 

 

真のセーフティネットとは?

suhartini, · カテゴリー: 未分類

正月早々のニュースで、昨年度の出生数がかろうじて100万人を超えたとのこと。しかし、少子化の進行はとどまる気配がなく、来年あたりには出生数が100万人を切ってしまうのではないかとの見方が強い。

 

ところで、筆者が住んでいたインドネシアの特殊合計出生数は、いくつだかご存知だろうか?

発展途上国の印象が強いため、4人とか、5人とか、そういう数字をあげたくなるが、実際には、2.1人。

先進国の中で多いのは、アメリカが2.1人、フランスが2.0人、日本は1.4人だ。一方、最多はナイジェリアの7.0人という数字から考えると、インドネシアの特殊合計出生数が少ないことがわかる。

 

ちなみにだが、2002年にインドネシアの占領から独立した東ティモールは6.1人、アジアの最貧国といわれていたバングラディシュが2.2人、またインドネシアと同様、東南アジアのイスラム国、マレーシアは2.6人だ。(注1)

 

インドネシアが2.1人という数字を達成しているのは、インドネシアが家族計画政策に成功している国のひとつであり、国民全体で家族計画に対する意識が高いからだ。

 

その点、日本はどうかというと、少子化のあおりを受け、どうしたら子供が増えるかに苦心している。

苦心しているのだが、子供を産めと言おうものならバッシングを受けかねない。

 

ところで、家族計画とは、具体的にはどうしろということか?

それは、インドネシアに住んでいたとき1日に1度は目にしていた、家族計画を奨励するテレビCMを見ればわかる。残念ながら、10年以上も前なのでYOUTUBEでは閲覧できないが、家族計画の実行を軽快な歌に合わせて訴えている。

歌詞の内容はこんな感じだ。

 

たくさん産みすぎるのはダメ

若すぎる年齢で産むのもダメ

高齢で産むのもダメ

子どもを産む間隔をあけろ

 

このCMで、「高齢で産むな」と言っているのは、インドネシアの平均寿命が69才であることが大きい。

70才前後で寿命が尽きる。だから定年が55才と早く、子供を大学まで卒業させるには、少なくとも30歳くらいまでに末子を産み終えている必要がある。

また、「子供を産む間隔をあけろ」というのは、母体と教育費の工面を考えてのアドバイスだ。

具体的すぎて、かえって新鮮に思えたのだが、考えてみれば、日本で家族計画という言葉が既に死語と化しているから仕方ないか。

 

ちなみに、、インドネシアは、わりとちゃんと子供を産むお国柄だ。

じゃあ、子供ができない場合はどうなるのかと言ったら、いないなら、いないなりだ。実際に独身のまま結婚しない人もいる。

子どもがいない場合は、日本では老後の心配が出てくるが、インドネシアの場合、日本ほど心配はないようだ。

というのも、今も昔もコテコテの家族・親族同士のつながりがあって、互いに助け合っているから、老後に孤立することはないというあたりが大きい。

ただし、それは、行政のセーフティネットがぜい弱だから、そうせざるを得ない、というのもあるのだが。

 

その点、日本は結婚する・しない、子供を産む・産まないは、個人の自由だ。

自由なのだけれど、だからといって、どう生きようが行政がすべてを受け止めてくれるようなセーフティネットが整っているとも思えないし、今後も整うことはないだろう。むしろ年金は減るし、介護保険も使いづらくなるだろう。

なんてったって、深刻な財政難だからだ。

 

筆者は若い人に言いたいのだが、友人づきあい、親戚づきあい、近所づきあいは、すべてセーフティネットと割り切って、ちゃんとしたほうがよいということだ。

結婚や子供を持つこと自体も、生き方の選択肢ではなく、セーフティネットと位置付ける視点は必要なのではないかと思う。

 

 

注1)WHO加盟国194ヵ国の2011年データより引用。

注2)WHO(2011)による平均寿命の表と国際連合の世界咽喉推計2010年度版による2005‐2010年の平均寿命データ。ウィキペディアより引用。

永住権は重要だよ

suhartini, · カテゴリー: 未分類

そういえば、このブログのサブタイトルが、「海外へ出る若者に贈る、気付かなかった盲点と対処法について考える」だ。

 

海外渡航前に、筆者が気付かなかった盲点のひとつが、永住権である。

既に海外に居を移している方は、永住権がどんなものかご存知と思うが、渡航する前は漠然とした意味でしかとらえていなかったのではないだろうか。

筆者に言わせれば、、この永住権ほど、もっとよく知っておくべきだったと思ったものはない。

日本国籍だと、多くの国でビザなしで観光できるので、海外に住み続けることの難しさを実感しにくいかもしれない。

 

ちなみに、永住権は、その国の国籍を取得せずとも、永住できる許可のことを指す。

海外に渡航し、安定して住んでいたとしたら、長くその地に住みたいと思うのが普通だが、そのために必要となるのが永住権だ。

各国の入国管理局のウェブサイトを見れば、永住権の取得条件が詳細に記載されていると思うが、その難易度については、額面通りに受け取ってよいと思う。つまり、永住権の取得は、かなりハードルが高く、なかなか取れないのが実情だ。

 

通常、外国に一定期間住むには、活動目的別にビザを取得するが、そのビザで許可された活動が終了すると、その国から出ていかなければならない。

特に、就労ビザは、どんな仕事でもやってよいわけではなく、国内の人材では充当できない分野の仕事に限られる。

つまり就労ビザの目的とは、そういう仕事を外国人に担ってもらって経済をまわすためにあるので、言ってしまえば、外国人労働者とは、経済発展のためのコマでしかない。

だから、「仕事がなくなったら、出て行ってくださいね。その後のことは知りませんから」というのが、就労ビザなのだ。

 

今、日本では人材不足ゆえに、海外から労働者を受け入れることが議論されているが、日本へ働きに来た外国人も、仕事がなくなったら、帰国してもらう運命にある。

それを非人道的だと非難する人がいるが、労働ビザというのはそういう趣旨のビザであって、海外の現地採用で働く多くの日本人も、同じ境遇にいるのを忘れてはいけない。

ワーキングビザとは、結構シビアなビザなのだ。

 

海外で働くというのは、日本で働くのと、大きく意味が異なる。

日本人が日本で働くのは、働きながら社会の一員として暮らし続けることができるが、海外で働くというのは、結局は使い捨てだ。

そうなることを避けるためには永住権が必要となるが、そうそう簡単に取れるものではない。

しかし中には、永住権が取りやすい国というのは存在する。

中華系(華僑)なんかは、ちゃんと永住権の取りやすさを意識して渡航先を決めているが、日本人の場合、旅行先を選ぶように、「好きな国」「行ってみたい国」で渡航先を選ぶ人が多い。

永住権は、住んでいるうちに何とかなるんだろうと、根拠もない思い込みで渡航先を選んでいるのだ。

だが、現実はそうではない。

現地で何年ものあいだ働いているのにもかかわらず、永住権が取れず、失業とともにビザを失い、帰国になってしまう外国人労働者は多い。

留学であれ、海外青年協力隊であれ、日本語教師のボランティアであれ、永住を希望していなくとも、どこかの国に一定期間住む計画がある人は、その国の永住権制度がどうなのか、事前に知識として知っておいた方がいいとアドバイスする。

もし、永住権が取りにくい国だったら、ダラダラと長居をぜずに、目的が終わったら、すぐに帰国したほうが身のためだからだ。

 

では、どうしても行きたい国が、永住権を取りにくい国だったら、どうしたらいいのだろう?

対処法については、ヒント的なものも含めて、後々書いてみようと思う。

エボラ出血熱で感じた些細なこと、でも結構怖いこと

suhartini, · カテゴリー: 未分類

エボラ出血熱が西アフリカで猛威を振るっている。

幸い、日本ではまだ患者が出ていないが、アメリカでは既に死者がでているうえ、二次感染、三次感染まででて、対応に追われているそうだ。

 

このニュースを見た人は、医療に従事していたとはいえ、患者の実名と写真が報道されたことに、内心びっくりしたのではないだろうか。

日本だったら、実名も顔写真はもとより、個人を特定される情報も報道されることはないだろう。

そういう報道の仕方に慣れているので、プライバシー意識が高そうなアメリカで、実名や顔写真まで報道されることに驚いた人も多いと思う。

 

筆者がプライバシー感覚の違いを実感したのは、インドネシアに移り住んですぐのことだ。

現地のように、人間関係が綿密につながった社会では、噂話が一種の娯楽として交わされるので、日本人のように目立つ存在はとかく噂話になりやすく、最初は面を食らった。

筆者がどこにいたとか、その程度のことだが、監視されているように感じ、驚いたのだ。

ただし、悪意はなく、そのうちに慣れてくる。

 

しかし、言葉を覚えて、テレビで現地のニュースを見聞きするようになると、プライバシーに関する扱いが、まるで違うことに驚く。

つまり、このアメリカでのエボラ出血熱の患者のように、容赦なく実名報道がされているということに驚くのだ。

 

このことは、領事館で働く人からも注意を促された。

日本のメディアは、個人情報の取扱いに関する規定が厳しいが、国によっては、個人情報やプライバシーの扱いが日本とはまるで違うので気をつけろ、と。

 

実際に起きたことだが、友人が、同じ日本人同士で口論の末に小競り合いを起こし、手を負傷した。

大した怪我ではないのだが、そのことで友人は相手に抗議をする意味で警察に被害届を出した。

もちろん、相手が謝罪をしたら被害届を取り下げるつもりだったのだが、それだけでは済まなかった。

なんと、翌日の新聞に、友人とその相手は被害者と加害者として、実名が報道されてしまったのだ!

このように、些細なことでも、国によっては実名報道がされてしまうことがある。

そして、報道されたからと言って、メディアに抗議することもできない。なぜなら、それが現地では普通だからだ。

 

以前、日本人の未成年の少年が薬物所持犯で捕まったというニュースをヤフーニュースで見た。

日本語のメディアなので実名は出ていなかったが、外国語のニュースサイトを検索したら、やはり実名が出ていた。

プライバシーに関する考え方が違うということは、実はとても怖いことなのだとつくづく思う。

独身者は旅行保険入った方がいいかも

suhartini, · カテゴリー: 未分類

少し暇なので、またブログを書くことにする。

ちょっと嫌な話で恐縮だが、海外に住んでいる方は、旅行保険をかけているだろうか?

人によっては、旅行保険ではなく、現地に公的な保険制度があれば、それに加入している人もいるかと思う。

そういった公的保険は、病気や事故での医療費を負担してくれるので、本当にありがたい制度だ。

しかし、できれば、こういった公的保険は、すでに現地で結婚してしまった場合にのみに、お勧めする。

まだ独身だったら、できたら旅行保険を掛けたほうがいいのではないかというのが、筆者の意見だ。

なぜか?

それは、何かあって、海外で亡くなってしまった場合の、遺体搬送費用がべらぼうに高いからである。

 

ちなみにだが、筆者の知人で、海外在住中に亡くなった方が3人いる。

うち2人は、現地で埋葬された。

片方は現地の男性と結婚していたので、今も夫と住んでいた家の近くで眠っている。

もう1人は独身だったが、ご遺体を日本に搬送する費用が賄えず、現地に埋葬された。

 

この遺体搬送費用なのだが、とても高額だということは、筆者はかねてから仕事で葬儀関係者と取引をしていたときに聞いていた。

例えば、火葬が禁じられている宗教(イスラム教)の外国人が日本で亡くなった場合、募金し合って遺体を母国に運ぶそうだが、運ぶといっても、荷物を空輸するのとはわけが違う。

まず、遺体を保管するための防腐処置(エンバーミング、embalming)をする。

通常、日本の葬儀ではエンバーミングではドライアイスを用いるので、費用はそんなにかからないが、海外へ搬送するための防腐処置は、衛生処置も必要となるため、エンバマーと呼ばれる特別な技術者か、医療関係者によって行われるので、手術費用ぐらいの料金が掛かる。(何十万円から100万円前後まで...というレベル)

 

さらに、飛行機に乗せる場合は、ジェラルミン製の特殊な専用ケースに入れなければならない。これも、何十万円というレベル。

さらに、海外への搬送許可や空港までの移送代、ご遺体搬送専用の航空輸送費に加え、母国での搬入許可費用など、様々な手数料がかかる。

手続きは煩雑で、しかも限られた時間で行わなければならないので、通常はエージェントを利用するが、その手数料も含めると、何百万円というレベルになってしまうそうだ。

ちなみに、知人が日本へ移送されたときも、500万円かかったと聞いているので、それくらいの費用が相場であることは間違いない。

 

よく、インドへ貧乏旅行を決行する人が、「野垂れ死にしたら、ガンジス川に流してもらう」などと冗談を言っているが、日本人の場合、そう簡単な話ではない。

通常、日本人が海外で亡くなった場合は、日本大使館に知らされ、遺族が現地へ渡航し、本人確認をし、その後、どうするのかを、遺族が費用を参考にして決めなければならない。

例え、本人がガンジス川に流してもらうことを希望したとしても、葬儀は宗教的な儀礼をともなうので、日本人という異教徒の受け入れをしてくれるとも限らないのだ。(もし、インド人と結婚してヒンズー教徒となった日本人なら、ガンジス川に流してもらうことは可能かもしれない。)

もし、土葬が一般的な国の場合でも、これまた外国人の埋葬を受け入れてくれるかどうかは、微妙だ。

というのも、既に埋葬地が不足している国もあるからだ。

友人がアメリカに住んでいたが、アメリカも土葬が一般的なので埋葬地が不足していると言っていた。

で、古い墓地跡をつぶして造成された住宅地に家を買うと、夜中にポルターガイストのように窓ガラスがカタガタ揺らされることがあるとか。

いずれにせよ、独身の方は、旅行保険に入った方がいいかも、という理由はこういうことなのだ。

英語教育、小3へ前倒し 5,6年は正式教科に 文科省が方針

suhartini, · カテゴリー: 未分類

海外へ行くとなると、まずは英語だろう。

筆者は、大学を卒業して間もなく、英検2級は取得しておいた。当時は英検2級があれば履歴書に記載でき、就活に有利とされたからだ。

 

なんでも、英語教育が本格的に始まるという方針が打ち出されたらしい。

さすがに子育て中の筆者も気になるところだが、早期の英語教育は必要とないと考える。

その理由だが、それは筆者の恩師による影響が大きい。

 

筆者は、社会人になって1年間の英語教育課程に身を置いた。

そこで出会った恩師だが、どうやら旦那さんが外交官で、アメリカに長く住んでいたらしい。また戦後間もないころ、国際交流の少年少女の代表として海外に派遣されたというので、当時の日本の状況を考えると、かなりのお嬢様だと思う。

 

その恩師は、英語を教えることになり、どう教えるべきか悩んだという。

その当時、求められているのは、英会話能力だったが、経験上、英会話能力をつけるには英語圏に住むのが一番だということがわかっていた。

だからといって、生徒を海外に連れて行き、そこで授業をやるわけにはいかない。

ならば、日本国内の学校でできる最大限のことは何だろうかと考えた。

そこで考えたのは、サバイバルという視点だった。

 

サバイバルというと大げさだが、海外旅先で急な予定の変更に際し、新たな計画を立て直す情報収集能力や、外国で医療にかかって病状を説明したり、宿泊のホテルで不都合があって補償交渉するのも、結局は暗記した単語量がものをいう。恩師ご自身が経験したことだ。

そこで恩師には、米国で活躍されている日本人の知人が多くいたので(...なんて言ったって、外交官の妻ですから!) そういった人たちに、どういう人が英会話能力が伸びるのかと聞いてまわると、覚えた単語量の差がモノを言うのだと誰もが言うそうだ。

つまり、暗記した単語量の多い人は、海外に行って知る限りの単語を並べて自分の意見を表現することができ、上達も早いのだそうだ。

 

だから恩師は、ネイティブによる会話レッスンが好まれた時代に、あえて、毎週、大量の英単語の暗記を課してきた。

あれから筆者は、いちども英語圏に住んだり、英会話を必要とする仕事に就けていないので、英語を話すのは得意でないことは変わりはない。

しかし、英語で書かれた文書を読むことは今でも苦ではない。それは、知らない単語よりも知っている単語の方が圧倒的に多いからだ。

ちなみに、40歳を超えてTOEICに初挑戦したら525とでたが、その後に猛特訓したら半年強で755にアップできた。これは、多くの単語が既に暗記済みで、あとはTOEIC独特のテスト方式に慣れるために、CDを聞きまくったからだ。

ちなみにだが、このTOEICの勉強のおかげで、ヒアリングが伸び、NHKのスーパープレゼンテーションを見るとき、字幕を目で追いつつ、英語を聞き取ることができるようになった。

だから、もしかしたら、英語環境に身を置けば、ちゃんと話せるようになるんじゃないかなあと思っている。

 

で、英語教育の早期化だが、それで将来的に英語力が上達するのか、疑問だ。

早ければ早いほど良い、というのは、ある程度、英語漬けにする環境を提供して、初めて効果が出るのではないだろうか?

 

留学が就職に役に立つようにするには?

suhartini, · カテゴリー: 未分類

留学経験は本当に自分の武器になるのだろうか?そう悩む人は多いと思う。

このことについて、筆者なりの意見を書いてみようと思う。

既に書いたが、筆者はインドネシアの芸術大学に籍を置いていた。

そこで同じ留学生仲間の中で、音大を卒業したばかりのアメリカ人男性と知り合った。

留学の目的を尋ねると、彼はこう答えた。

取得した単位がどれも中途半端で、どの道に進むにも、専門性が足りないことが致命的な弱点なのだとか。

そこで、インドネシアの芸術大学へ留学し、ガムラン音楽を研究することで専門性を持たせ、突破口を見出そうと考えたらしい。

彼は幸い、国費留学生に選ばれ、学費は無料で生活補助が支給されたが、いざ留学生活を始めてみたら、現地では留学生個人が講師を雇い、レッスン料を払って演奏技術を習得することが常態化していたことが分かった。

で、レッスン料の捻出ができない彼は、講師を雇うことができない。

下調べが甘かったことが原因とはいえ、講師の側も留学生へのレッスンは大事な収入源なので、レッスン料を払えない留学生に対し、手を差し伸べるようなことはなかった。

彼は留学生活を続けるうえで致命的な状況だったにもかかわらず、学生から手ほどきを受けながら、留学生活を続けた。

何としても、専門性が欲しいのだという。

なにもせずに帰ったら、もう後はない。だから帰るわけにはいかないのだと。

 

どうやらアメリカでは、専門性が非常に大事らしい。

そういえば、アメリカの雑誌なんかには、読者モデルの肩書が職種で書かれている。

例えば、「ショップマネージャー」や「○○コーディネーター」のように、肩書は必ず職種だ。

それに対して、日本では、肩書はたいてい、「会社員」と一括りにされるか、せいぜい「銀行勤務」となる。

日本の場合、どこで働いているかが、その人なりを表しているので、こうなるのだろう。

そのせいか、専門性を意識せずとも就職できてしまう。

特に、文系女性の仕事は。

筆者もそういう形でしか仕事をしてこなかった。

ところが、芸術大学での留学を終え、帰国後にカルチャーセンターに企画書を出して採用された時には驚いた。

日本での研究歴が6年ほどあって、現地の大学にも籍を置いて研究したので、冷静に考えれば有りうる結果だが、留学とは、こういう、自国で学びきれない専門性を高める手段なら、評価されるということなのかもしれない。

つまりはこういうことだろう。

そもそも専門性がない人が、語学習得程度に留学したのだとしたら、やはり専門性が弱いことには変わりはない。

こういう人は、たぶん、留学が就職に有利になるということはないだろう。

一方、国内である程度、専門性を身につけ、留学を通じて、さらにその専門性に磨きをかけている人がいる。

そういう人は、たぶん、留学が就職で有利になるんだろう。

だから、留学経験を就職に生かしたいなら、その前にある程度、専門的なバックグラウンドが必要なのではないかと思う。

留学自体が専門性を高めるとしたら、語学の講師になることぐらいにしか寄与しないのかも。

 

ちなみにだが、例のアメリカ人の友人は、留学中に彼女が出来て、そのまま就職の道を探り、インターナショナルスクールの音楽教師となった。

アメリカの音大を卒業していることと、インドネシア留学を通じて現地の音楽を身に着けた経験が生かされた形だ。

もちろん、そんなこと、本人はアメリカにいた時は考えてもみなかっただろうが、ただ漠然と留学するのではなく、専門性にこだわったことが結果につながったのだろう。