キリスト教徒になって、クリスマスがしんどい
suhartini, · カテゴリー: 未分類一応なのだけど、筆者はキリスト教徒というやつだ。
大学のときに、キリスト教文化なる講義を受け、そのときのテキストで聖書をかわされた。
もちろん、当時は、単に単位をうめる目的で選択したに過ぎないのだが、アダムとイブの話や、聖書で用いられるたとえ話が面白く、授業そっちのけで読み進んでいたら、いつの間にかクリスチャンの友人ができ、そういった人たちの誘いで教会に行くようになったのが、キリスト教徒になったきっかけだ。
まあ、洗礼を受けるまでにはかなりの時間がかかったのだが、とりあえずは、正真正銘のクリスチャンとなっている。
ちなみにだが、主人はカトリックの家庭に生まれ、敬虔なカトリックだ。
で、結婚するにあたり、筆者が改宗?(正式には信仰宣言)をすることで、カトリックの仲間入りを果たした。
あんまり真面目にやっていないんですがね。
キリスト教徒になってよかったことは、ここでは割愛する。
というのも、信仰体験は人それぞれなので。
しかし、キリスト教徒になって、楽しめなくなった?ものがある。
それは、キリスト教的な行事、つまり、クリスマスだ。
今は、筆者は不真面目なキリスト教徒なので、ごく一般的な日本人の考えるクリスマスを、そのままやっている。
つまり、お酒を飲み、プレゼントを買ったり、外のイルミネーションを楽しんだり、だ。
もし筆者が独身だったら、恋人とロマンチックなクリスマスナイトを楽しんだろう。
しかし、キリスト教徒になったとき、その辺が微妙に違ってきた。
積極的に参加し、楽しまなくてはいけない義務?が生まれた。
まず、教会のクリスマス会に参加しなくてはならない。
言っておくが、クリスマス会には酒は出ない。
酒もないうえに、同じ信徒とはいえ、趣味も年齢層も異なる人と、とりあえず盛り上がらなくてはならない。
普段は酒ありで、下世話な話題で馬鹿笑いを楽しむ筆者からすると、これはしんどい。
でも、クリスチャンとして、キリスト誕生のお祝いを信徒同士で楽しまなければならないのは、多少の演技も必要になってくる。
さらに、カトリックになったときは、聖劇(キリスト誕生の劇)だの、聖歌隊の練習だのと、とにかく、ひたすら練習に励まなくてはならない。
そして、礼拝やミサの後のパーティのメニューを考えたり、買い出しが追い打ちをかける。
だから、クリスマスはクリスマスどころではない。
12月が近づくと、暗澹たる気分になったものだ。
なんだか、最近は、クリスマスやバレンタインデーよりも、ハロウィンの方が人気があるらしい。
理由は、前者は恋人同士で楽しむのに対し、ハロウィンなら同性の友人同士でも楽しめるあたりが関係するらしい。
日本の若者よ!それでいいのだ。
筆者は、クリスマスは生真面目にキリスト教的なことをやろうなんて考えずに、普通に楽しめばいいのではないかと考える。
そうしないと、クリスマスが一年中で一番しんどい季節になっちゃうんで。
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