世界を目指す前に 知っておきたい、あれこれ

未来を生きる次世代への置き書き

テロ勃発後は、恐怖の毎日

suhartini, · カテゴリー: 未分類

13日、パリでテロによる大規模な襲撃事件が起きた。

まずは、尊い命を奪われた犠牲者のご冥福をお祈りいたします。

 

テロ事件は、インドネシアではよく起きている。

日本人が犠牲になった事件としては、2002年のバリ島での爆破テロを記憶されているかと思う。

筆者はその事件が起きたときにバリ島に住んでいて、ある夜、クタで爆発があったんだって、ニュースでやっているよと近所の人が言うので、テレビをつけたら、延々と建物が燃え上がる映像がただ流れていた。

当時はガス爆発でも起きたのかと思っていたら、いわゆる自爆テロで200人近い死者が出たと聞いて、驚いた。

爆破のあったクタのメイン通りは、仕事でもよく行ったし、多くの観光客がごった返す繁華街なので、金曜の夜は気晴らしに遊びに行くことも多々あった。

たまたま子供が産まれて、育児に追われていて、そういう場所には遠のいていた時期ではあったが、あの界隈で働く人、例えばディスコの従業員や、近隣駐車場の管理人、路上のたばこ売り、タクシーのドライバーなど、普通に生活をしていた人が、ある日突然、この世を去ることになったと思うと、人間はいつ死ぬのかわからないのだとつくづく思ったものだ。

それで一斉捜査の、犯人探しが始まった。

夜、買い物で主人と車に乗って出かけていると、警察に止められ、懐中電灯の光を向けられ、顔を確認される。

大型ショッピングセンターのようなところでは、爆弾を仕掛けていないか確認するために、棒の先に鏡が付いたもので車体の下部をチェックされる。

そんなことで仕掛けた爆弾を探せるのかと疑問に思うのだが。

 

テロ勃発後は、次の爆破がまた起きるかもしれないという、恐怖の毎日だった。

なんてったって、テロは一般市民に混じっていきなり爆発するのだから、防ぐことは困難だ。

だからテロにあう、あわないは、天に任せるしかない。

余談だけど、バリ島では、その後の2005年にも爆破テロが起きていて、日本人が巻き込まれているが、インドネシア全体では、割と爆破テロってよく起きていて、たまたま日本人が犠牲になっていないので、日本で大々的にニュースになっていないだけだ。

実際に、主人が実家近くで通う教会で筆者と主人は結婚式を挙げたのだが、そこも爆破されたことがあって、現地人が1人亡くなっている。

結局は、テロを恐れていては、海外には住めないというあたりか。

そういう風に、自分に言い聞かせている。

自炊とは、不味いものを食べておくためにある

suhartini, · カテゴリー: 未分類

こう見えても、筆者は自炊派だ。

バブル経済の勢いがあった時代から、ほぼ毎日弁当を持って行っていたし、インドネシアに住み着いたときも、朝市で食材を調達し、頑張って料理をしていた。

もちろん今も、毎日弁当を持参して仕事に行くし、自宅に帰ったら料理をしている。

こういう風に言うと、「料理が上手」だと勝手に思われるが、そうではない。

「料理は上手くはない」と説明しても、「でも毎日作っているんだから、腕が上がっているはずだ」と言われる。

ところが、筆者はそうはならない。

根本的に、「こどもくち」なのだ。

「こどもくち」というのは、味覚が幼稚な人を言い、いい大人なのに大好物が「カレー、ハンバーグ、スパゲッティ」という人のことを指す。

もちろん、そこまでひどくはないが、食べ慣れないものは得意ではないし、友人に誘われて外食をするにも、和食だとあまり気が乗らない。

逆に、筆者の母は、味覚が優れていて、料理が上手く、調理師の免許まで持っている。

その遺伝子は姪っ子に受け継がれ、子供のころから和食を好んでいて、大学では食物科を専攻し、食品関連の仕事に就いた。

ところが、甥っ子は、筆者と同じ。

「こどもくち」で、偏食がある。(筆者も子供のころは偏食がひどかった)

こんな感じの筆者なので、いくら毎日料理をしても腕が上がるはずもなく、なるべくレシピ本に忠実に作るのがせいぜいと言ったところだ。

ただ、味覚が優れている人って、わりと少ないのではないだろうか?

筆者は高校時代の友人が、22かそこらで結婚し、旦那さんが仕事で遅くなるという日に新居にお邪魔した。

そのときに夕食をごちそうになったのだが、豆腐ピザ(豆腐にピザソース、チーズがかかったもの)を出され、驚いた。

とりあえずは、楽しく食事をさせてもらったが、たぶん彼女も立派な「こどもくち」なのだろう。

 

こんな筆者がどうして毎日料理をするのかというと、習慣的な理由が主にあげられるが、もうひとつあげるとしたら、普段から美食を追及しないようにしている、というのがある。

上手く言えないのだけど、特別な日以外は、普通でよいのだ。

だから、なるべく自炊して、特別うまくもないものを食べて、特別な日のために楽しみを取っておくという感じかな?

そのほうが、外食をした時の喜びは大きいのだ。

寿司職人が何年も修行するのは考

suhartini, · カテゴリー: 未分類

ネットニュースを見ていたら、かのホリエモンが、「寿司職人が何年も修行するのはバカ」発言が話題になっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151102-00000004-jct-soci

 

言われてみればその通りで、実際に筆者の同級生で、父親と一緒に一杯飲み屋をやっていた人が、独立して店を出すといって、いきなり寿司屋を始めた。

あれ?寿司って修行とかものすごく時間がかかるのでは?というと、

「寿司って、刺身を切ってご飯の上に載のせるだけじゃん」

と、言われてしまった。

同じく、大学時代の先輩で焼肉屋でバイトをしている人も、「肉切って、タレかけて出すだけ」と言っていた。

もちろん、どちらも客をなめているというつもりはないと思う。

なぜなら、ちゃんと経営が成り立っている店だし、お客もちゃんと入っているからだ。

だから、ホリエモンのいう、「何年の修行するのはバカ」という発言も、わからなくもない。

わからなくもないんだけど、確かに、何年も修行すれば得るもの、見えてくるものというものがあるというのも否めない。

そういうものなしで、なにかクリエイティブな仕事をしようとしたら、コピペしかないわけだし。

 

日本は職人という肩書に最大限の敬意を払う国なのだけれど、インドネシア語で職人は 「tukang(トゥカン)」といい、~師や~工、職人という意味があるのだけれど、google翻訳で訳すと「便利屋」とでる。

確かに、インドネシアで tukang に日本の職人魂のようなものを求めることは難しく、筆者の経験から見て、「便利屋」のニュアンスはかなり入る。

 

余談だが、バリにいたとき、ドイツ人の友人がいて、その知人が外国人を宿泊させるためのコテージを敷地内に建てたという。

それで、そのコテージに宿泊したドイツ人の友人を訪ねて行ったのだが、そのときに面白いものを見せられた。

トイレだ。

そのコテージのオーナーは、外国人を宿泊させるので、和式と洋式のトイレを2種類作ってくれと頼んだら、ドアを開けたら和式と洋式の便器がふたつ並んでいるトイレを作られてしまった。

確かに、tukang からすれば、言われた通りのものを作ったというわけだが、まさか、あの狭いスペースに和式と洋式の便器を並べて設置されるとは思わなかったそうだ。

まあ、メリットしては、ドアを開けたら、好みの便器で用を足すことができるので、どっちを選んだかというプライバシーは保てるかもしれない。

 

話がそれてしまったのだが、日本では、職人は親方なり主人のもとで一定期間、精神的なものを学んでいるから、職人たり得るのではないかなあと思う。

そういう文化があるから、職人に安心してオーダーできるのだと思う。

もし日本の伝統文化が、そういった徒弟制度を廃止してしまったら、ジャパンクオリティがあっという間に全滅するだろう。

ある意味で、たった3か月の寿司学校で学んだだけの料理人が店を出せるのは、日本の徒弟制度による伝統がベースにあるから、店を出せているのではないか?

そう思うと、日本の徒弟制度というものは残すべき文化と思う。