世界を目指す前に 知っておきたい、あれこれ

未来を生きる次世代への置き書き

寿司職人が何年も修行するのは考

suhartini, · カテゴリー: 未分類

ネットニュースを見ていたら、かのホリエモンが、「寿司職人が何年も修行するのはバカ」発言が話題になっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151102-00000004-jct-soci

 

言われてみればその通りで、実際に筆者の同級生で、父親と一緒に一杯飲み屋をやっていた人が、独立して店を出すといって、いきなり寿司屋を始めた。

あれ?寿司って修行とかものすごく時間がかかるのでは?というと、

「寿司って、刺身を切ってご飯の上に載のせるだけじゃん」

と、言われてしまった。

同じく、大学時代の先輩で焼肉屋でバイトをしている人も、「肉切って、タレかけて出すだけ」と言っていた。

もちろん、どちらも客をなめているというつもりはないと思う。

なぜなら、ちゃんと経営が成り立っている店だし、お客もちゃんと入っているからだ。

だから、ホリエモンのいう、「何年の修行するのはバカ」という発言も、わからなくもない。

わからなくもないんだけど、確かに、何年も修行すれば得るもの、見えてくるものというものがあるというのも否めない。

そういうものなしで、なにかクリエイティブな仕事をしようとしたら、コピペしかないわけだし。

 

日本は職人という肩書に最大限の敬意を払う国なのだけれど、インドネシア語で職人は 「tukang(トゥカン)」といい、~師や~工、職人という意味があるのだけれど、google翻訳で訳すと「便利屋」とでる。

確かに、インドネシアで tukang に日本の職人魂のようなものを求めることは難しく、筆者の経験から見て、「便利屋」のニュアンスはかなり入る。

 

余談だが、バリにいたとき、ドイツ人の友人がいて、その知人が外国人を宿泊させるためのコテージを敷地内に建てたという。

それで、そのコテージに宿泊したドイツ人の友人を訪ねて行ったのだが、そのときに面白いものを見せられた。

トイレだ。

そのコテージのオーナーは、外国人を宿泊させるので、和式と洋式のトイレを2種類作ってくれと頼んだら、ドアを開けたら和式と洋式の便器がふたつ並んでいるトイレを作られてしまった。

確かに、tukang からすれば、言われた通りのものを作ったというわけだが、まさか、あの狭いスペースに和式と洋式の便器を並べて設置されるとは思わなかったそうだ。

まあ、メリットしては、ドアを開けたら、好みの便器で用を足すことができるので、どっちを選んだかというプライバシーは保てるかもしれない。

 

話がそれてしまったのだが、日本では、職人は親方なり主人のもとで一定期間、精神的なものを学んでいるから、職人たり得るのではないかなあと思う。

そういう文化があるから、職人に安心してオーダーできるのだと思う。

もし日本の伝統文化が、そういった徒弟制度を廃止してしまったら、ジャパンクオリティがあっという間に全滅するだろう。

ある意味で、たった3か月の寿司学校で学んだだけの料理人が店を出せるのは、日本の徒弟制度による伝統がベースにあるから、店を出せているのではないか?

そう思うと、日本の徒弟制度というものは残すべき文化と思う。

 

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