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岩宿遺跡・博物館
日本最古の歴史探究が始まった
考古学に近づける遺跡
旧石器時代の先祖の暮らしに近づく場所
岩宿遺跡は、日本で旧石器時代(先土器時代)に人が住んでいたことを証明する石器が発見された遺跡。
それまで、日本の旧石器時代にあたる時期は、火山が頻繁に噴火していたことを示す赤土、関東ローム層が地層が大地をおおっており、当時は人が住めなかったと考えられていました。しかし、1949年、岩宿の関東ローム層の地層から、人の手によって作り出されたとみられる槍先形石器が発見されました。
この岩宿遺跡の発見を成し遂げたのが、相沢忠洋。
1926年(大正15年)に生まれた相沢は、幼少期に工事現場で見つけた土器に興味を持ち、独学で考古学を研究していた行商人です。
相沢は28歳で岩宿遺跡の発見を成し遂げましたが、貧しく学歴もない相沢の功績として認められず、それ以降も独学で遺跡の発掘を続けることとなりました。
相沢が日本考古学協会の会員となったのが46歳。もちろん、その頃には岩宿遺跡発見は相沢の功績であると認められるようになりましたが、長くを無名の立場におかれたことに、アマチュアと学者との間の厳しい線引きを感じます。
しかし学会とのパイプ役を担ってくれた学者との交流や家族に支えられ、相沢は考古学の研究に人生をささげることとなります。
岩宿遺跡は、岩宿博物館の裏手300mほど先の、ごくありふれた雑木林の中にあります。
岩宿で人が生活を営んでいた時期は、今から3.5~1.5万年前の氷河期。火山が噴火を繰り返すなか、人々は狩猟で生活をしており、マンモスも生息していたとみられます。相沢は、土器からそんな古代人の暮らしを想像することが好きだったとのこと。
岩宿は、そんな私たちの祖先の営みに少し近づける場所です。
旧石器時代に生息していたとされるマンモス像のレプリカ。当時の人間は、こんな動物との生態系の中で生きていた。
関東ローム層は火山灰が降り積もった土壌で赤土と呼ばれます。台地や高台を形成するので稲作に向かず、畑作や畜産がさかん。群馬県のキャベツやこんにゃくいも、畜産のほか、埼玉県の狭山茶、栃木県のいちごや畜産、千葉県の落花生が有名。