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足尾銅山観光
殖産興業の光と影
経済発展と社会問題を考える
銅採掘による繁栄と悲惨な公害事件の舞台
江戸幕府直轄の鉱山として始まった足尾銅山は、産出された銅が日光東照宮や江戸城にも使われた、歴史ある鉱山。大正時代には、銅が絹と並んで日本の主要な輸出品となり、日本の殖産興業と近代化を支えてきました。昭和48年に閉山するまで400年もの間に、豊富な鉱脈を求めて複雑に坑道を張り巡らせ、坑道の全長は1234㎞にものぼります。
この坑道の一部を観光用に公開しているのが、足尾銅山観光です。
坑内へはトロッコで移動し、徒歩で坑道内を見学していきます。
ところどころで人形を使って時代ごとの発掘作業の様子を再現し、江戸時代のノミと金槌による手掘りと人力による運搬作業の様子から、時代を追って機械化が進み、昭和時代にはダイナマイト発破による採掘へと近代化していった様子がわかります。
採掘作業は狭い坑内を掘り進むため、薄暗くて湿気が多く、常に酸欠や崩落事故と隣り合わせの重労働。明治時代には、日本初の公害事件として知られる足尾銅山鉱毒事件が起こり、公害対策費の支出によって坑夫の賃金がしわ寄せとなり、労働環境の改善を求めて足尾銅山暴動事件が勃発しました。
どちらかというと、この足尾銅山観光は、銅採掘産業の歴史に重きを置いた展示となっているので、学びに役立てるには、こういった過酷な労働環境に注目するとともに、事前に足尾銅山鉱毒事件について教科書で確認してから訪れるとよいと思います。
また、ここを訪れたら、ぜひ利用したいのが、わたらせ渓谷鉄道。
トロッコ鉄道で知られる わたらせ渓谷鉄道は、採掘された銅を運ぶために作られた旧国鉄の足尾線です。鉱山産業の衰退とともに一度は廃線となりましたが、桐生駅から通洞駅、足尾駅を経て、間藤駅までの路線を観光用に復活させました。
車窓からのぞく渡良瀬川は、過去には鉱毒で汚染された足尾銅山鉱毒事件の舞台。現在では浄化され、風光明媚な景色を楽しめる路線となっています。
また、全盛期には群馬県で高崎に次ぐ第2位の人口を誇っていた足尾周辺の町ですが、その頃の駅舎が今も健在です。登録有形文化財に指定されたプラットホームが多くあり、古き良き時代のレトロな気分を味わえる路線として人気です。
ちなみに、原向駅を出発し、通洞駅へ向かう途中で進行方向の左手に、突如異様な雰囲気の円形の建造物が連なっているのが、中才浄水場。鉱毒事件をきっかけに作られた鉱毒を浄化する装置です。
精錬所をはじめとする銅山関連施設のほとんどは、間藤駅より奥の廃線となった路線周辺に点在しており、わたらせ渓谷鉄道から見ることができません。唯一、この中才浄水場が車窓から見ることができる施設ですので注目するといいでしょう。
鉱道の中まではトロッコで移動します。
坑道の中の様子。ただし奥へはいけません。
わたらせ渓谷鉄道トロッコ列車の眺めは抜群。
江戸時代が260年も続いた理由のひとつが、経済的基盤。江戸幕府は、全国の4分の1の領地を直接支配するだけでなく、佐渡金山(新潟県)、石見銀山(島根県)、足尾銅山(栃木県)などの鉱山や江戸、大阪、長崎などの商業都市も支配し、貨幣を作る権利も握っていたことが、長期政権を担った理由とされます。